「畳を準備するように」
まず大天守から造られていて、それは"1600年ごろ"と推測されています。
その手がかりは、築城主である加藤清正が家臣に出した書状に記された「畳」という文字です。
熊本市の熊本城調査研究センターの木下泰葉さんによると、この書状の中で、清正は武将・黒田如水をもてなすために「天守の作事(工事)を急いで、畳を準備するように」とつづっています。
畳を敷くというのは、建物が完成する最終段階と考えられるため、このころに「大天守がほぼ完成」というわけです。
まず大天守から造られていて、それは"1600年ごろ"と推測されています。
その手がかりは、築城主である加藤清正が家臣に出した書状に記された「畳」という文字です。
熊本市の熊本城調査研究センターの木下泰葉さんによると、この書状の中で、清正は武将・黒田如水をもてなすために「天守の作事(工事)を急いで、畳を準備するように」とつづっています。
畳を敷くというのは、建物が完成する最終段階と考えられるため、このころに「大天守がほぼ完成」というわけです。





