日本の責任――真の「法の支(え)配(り)」に向けて
それでは、戦後一貫して国際法に重きを置き、国連中心主義と平和外交を掲げてきた日本は、この事態にどう向き合うべきだろうか。
現在、日本は中満泉・国連事務次長(軍縮担当)をはじめ、国際司法裁判所(ICJ)の岩澤雄司所長、そして国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長など、国際法実務の最前線で担う中核機関に、極めて優秀な専門家を数多く輩出している。世界的な危機の中で法を通じた平和構築に挑む彼らの存在は、日本の誇るべき最大の人的貢献である。
だからこそ、日本という国家は今の事態に対して特別な責任を負っている。
一方では、「法的」責任(レスポンシビリティ)として、武力行使禁止やジェノサイド禁止など逸脱が許されない強行規範の重大な違反に対して、違法行為に直接の責任を有する国家のみならず、日本を含む第三国も、適法な手段を通じてその違反を終わらせるために協力し、その違反から生じる状況を適法なものと承認せず、かつその状況を維持するための援助を与えない義務を負う。
他方では、より「倫理」的な部分の「応答可能性(レスポンス-アビリティ)」として、同盟国である米国の明らかな暴挙に対し、地政学的な配慮や安全保障上の懸念から「沈黙」を選ぶことは、これまで日本が国際社会で築き上げてきた信頼を根底から裏切る。
日本政府が外交の場で頻繁に口にする「法の支配(ルール・オブ・ロー)」という言葉が、単に大国と歩調を合わせるためだけの「法による支配(ルール・バイ・ロー)」の隠れ蓑であってはならない。
日本の外交、そして私たち日本の国際法研究者が今なすべきことは、強者が上から物理的な暴力を押し付ける支配の構造を、言葉と論理によって打破することである。圧倒的な暴力に晒され、瓦礫の下にいる人々を下から「支え」、国際社会に平和への活気を「配る」、真の意味での「法の支(え)配(り)(ルール・オブ・ロー)」への到達を、粘り強く目指さなければならない。














