専門家の責任――「技術者(テクノクラート)」からの脱却
こうした未曾有の危機のなかで、専門家共同体からも重要な動きが起きている。3月2日には米国際法学会(ASIL)が「トランプ政権は国際法を再び無視している」との異例の非難声明を出し、4月2日には米国に拠点を置く100人以上の国際法専門家が、一連の政権の行動を「国連憲章に対する明白な違反である」と厳しく非難する共同声明を発表した。権力の中枢に最も近く、最も強い影響力を持つ米国国内において、専門家たちが声を上げたことの意味は極めて大きい。
一方で、このような専門家たちの声明に対し、元米陸軍法務官らを中心とする実務家層からは強い反論もなされている。
彼らは「実際の軍事作戦の文脈を無視し、不十分な事実関係(現地の断片的な情報やNGOの未検証データ)に基づく性急な告発は、軍の正当性と士気を不当に損なう」と主張する。そして、武力紛争法(国際人道法)違反の認定は、事後のより厳密な事実調査と、作戦的文脈の冷静な分析に基づくべきだと説くのである。
しかし、私を含む専門家はここで立ち止まり、自らの職責について問わねばならない。彼らの言うその「厳密さ」や「客観性」が、現実において一体何を覆い隠しているのかを。
彼らの論理に従えば、子どもたちが犠牲になった学校への凄惨な爆撃も悲劇的な「付随的被害」という無機質な法的用語によって抽象化される。そして、現地の指揮官の「合理性判断」や「インテリジェンスへの依存」という手続的な要件を満たしさえすれば、国家による生殺与奪の権力行使は法的に正当化されてしまうのである。
国際法の専門家に求められているのは、このような軍事作戦の効率性を最適化し、権力の圧倒的な暴力を法的に覆い隠すための「技術者(テクノクラート)」として振る舞うことではないはずだ。
もちろん、学問に携わる者として、規範の厳格な確定や事実の慎重な認定を踏まえた上で、冷静な評価を下したいという心情は十分に理解できる。しかし、私たち研究者は、すべての事態が終わり、事後的に客観的な判断を下す「裁判官」ではないのだ。
また、現場で直接的な救済を担うNGOや、事態を告発して事件化する弁護士とも役割は異なる。今まさに進行している暴力の事態に対し、学術的な貢献ができる独自の余地は確実に残されている。それは、権力に奉仕する法の装置を批判的に検証し、学問の責任として応答することである。














