「力の支配」を覆い隠す「法による支配」

歴史上、大国は自らの覇権的な暴力を正当化するために、国際法というツールを巧妙に利用してきた。

国連憲章における常任理事国の拒否権という特権的な制度設計や、自衛権の際限のない拡大解釈など、規範形成に絶大な影響力を持つ国々は、常に自らに有利な「例外」や「抜け穴」を法体系の中に埋め込んできたのである。これは、「力の支配(ルール・オブ・パワー)」を可能にするために、法を統治の道具として使役する「法による支配(ルール・バイ・ロー)」という、国際法が構造的に抱え込んできた歪みであった。

過去の米国の指導者たちも、いかに軍事的に強硬な振る舞いであっても、国際法上の「例外」や綿密に練られた「法的解釈」という衣をまとい、自国の行動を正当化する「法による支配(ルール・バイ・ロー)」の体裁を辛うじて保とうとしてきた。現在のトランプ氏の発言と行動は、一見するとその最小限の法的な装いすらも完全に脱ぎ捨て、剥き出しの「力の支配(ルール・オブ・パワー)」へと回帰するように見える。

しかし、「国際法はいらない」と豪語するトランプ氏も、完全に法秩序の外側に立っているわけではない。むしろ、大国が勝手に振る舞うことを許容してきた国際法の「抜け穴」を、自らの恣意のために最大限に活用しているのである。その一例として、彼が提案したガザ和平提案が、のちに安保理決議2803号という国際法の「装い」によって、「平和評議会」として誕生したことが想起される。

イランに対する恫喝も、単なるレトリックとして看過できるものではない。民間インフラの破壊や無差別攻撃の威嚇は、人道の基本原則の「例外」を突き、一定の場合に暴力を容認してしまう国際法の余地を濫用したものである。