やがて庭園は、時代の中で持ち主を変えていきます。

葛西重雄の没後、庭園は養子で工学博士・建築家の葛西万司が引き継ぎました。
万司は辰野金吾に師事し、辰野葛西建築事務所を設立。東京駅の設計にも関わった人物です。
しかし万司は仕事の都合で盛岡を離れることになり、庭園は昭和16年に松尾鉱山へ売却されます。

戦後、庭園は進駐軍に接収され、占領軍将校・ラーティ大佐の宿舎として使われた時期もありました。

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その後、昭和37年に岩手放送(現在のIBC岩手放送)がこの土地を取得。
翌々年の社屋の完成やその後の増築で庭園の姿は一部変わったものの、シダレザクラを中心とした往時の面影を残す形で今日まで大切に保存されています。