■「私がここをダメだと言っていれば…」指定避難所を襲った悲劇

(佐藤さん)
「この辺には上履きがのっかっている。上の方ちょっと見てください」
(学生)
「天井の骨組みにのっかっている。本当だ…」

この周辺は一帯が津波に襲われました。
(佐藤さん)
「波路上杉ノ下(はじかみすぎのした)という高台で一時避難高台でした。
市が指定しました。ここに当日、60人が避難しました。助かったのは5、6人だけです」
「指定したときの市の責任者が私です。そこで多くの人たちが命を失った。そういう結果になってしまった。私が『ここをダメだ、危ないと』いう判断をしていれば、
ここに多くの人は避難しません。命を失うことはなかった場所です。本当は」
杉ノ下地区では約3割の住民が津波で命を落としました。
明治の大津波でも浸水せず安全とされていた高台。
しかし、想定を絶する津波は、そこへ逃げ込んだ人々の命を非情にも奪い去りました。

当時、市の責任者だった佐藤さんの言葉には、15年という歳月を経てもなお消えることのない、深い自責の念が滲んでいました。
そうした思いから、語り部を続ける佐藤さん。
(佐藤さん)
「一番、津波防災に熱心だった地区がこの地区です。でも、その地区が一番被災率が
高い地域になってしまった。そこにあるのは、過去の経験が絶対じゃない。それからハザードマップは絶対じゃないということを意味しています」
(愛媛大学4年・齊藤葵さん)
「“高台は安全”が前提だったのが、結局は…」
(佐藤さん)
「過去においてはあった。でも、どこかで『それ以上もある』というのも覚えていてもらえたらありがたい」
(齊藤さん)
「重く受け止められていたのは、見ているこっちも悲しくなったんですけれども、それをせっかく伝えてくれているので、後悔を無駄にしないように私も何かしたい」
その後、学生たちは石巻市へと向かいました。












