「想帰郷」自宅跡地に石碑

赤井さんは、月に1回程度、大熊町の自宅があった場所に戻っています。

赤井さん「家もなくなったし、寂しくて侘しい気持ちになりますよね」

国道6号から車で海に向かうと、赤井さんの土地がありました。

赤井さん「この辺にブロックの塀があって、ここが入口だった。取り壊すのに立ち会いがあったが、重機で壊される姿を見たくないというので立ち会いはしなかった。悔しい思いしかない」

家の目の前には小学校がありました。

赤井さん「小学校のスポーツ少年団の野球とか、熊町幼稚園の運動会とかがあって、賑やかだった。子どもたちの元気な声がいっぱい聞こえて。(今は)本当に寂しい」

今は庭石だけが残ります。ここに、赤井さんは、4年前、石碑を立てました。

赤井さん「この石碑は私の土地がここしかないもので、ここに帰ってくる。帰ってくるのは私はここの土地だと思っているので、大熊に帰ってくるのは。『想帰郷 我が帰郷日 2045年3月12日赤井俊治・妻典子』(2045年3月12日は)国との約束の期限日です、地上権設定の。確実に実施され、更地になって戻ってくるということ、それを信じて国と契約したわけなので、ぜひ守っていただきたい」

かつて2000人を超える人たちが暮らしていた1600ヘクタールの中間貯蔵施設用地には、東京ドーム11杯分の除染土が保管されています。県外最終処分の期限は2045年。あと20年を切りました。

赤井さん「事故から16年経ってやっと選定しますとかって、ちょっとそれでは進まないと思う、はっきり言って」

そう話す赤井さんが、今一番心配していることがあるといいます。

赤井さん「国有地に売った人がほとんどだし、国有地になったからということで置かれるのではないかと心配している。国の土地だからなんだって構わないだろうと最終的になるのが怖い。約束も何もなくなってしまう、こうなってしまうと」

この石碑は、「決意」と「覚悟」を示すもの。赤井さんは、将来への希望も話してくれました。

赤井さん「ここに帰ってきて、できればちょっとしたものを建てて、完全にまだ住める状態ではないだろうが、たまに来て何か作ったり何かをしたいなという気持ちはある。叶わないかもしれないが、どうなるか分からないが、ただこの日を目標に頑張っていきたいなと思っている」

期限まであと19年。残された時間はそう長くありません。2045年の県外最終処分の期限を迎えるころ、赤井さんは90歳近くになります。時間も限られている中、約束を果たすための、具体的な次の一手を、国は示す必要があります。