豊見城の地域史

より生活に密着した資料を

刊行を記念したシンポジウムで紹介されたのは、各学校に残っていた子どもたちの作文です。1975年の豊見城中学校3年生が書いた作文には、こうありました。

▼1975年の作文
「今日畑で働いている人は、かあちゃんとおばさんの2人しかいなかった」「事実、私たちの集落では、ほとんどの人たちが畑を手放し、街で働いたり、出稼ぎに行ったりして生活をするようになってしまった」

1973年、座安小学校5年生の作文にも、世相を現した切実な問題が綴られていました。

1973年の作文

▼1973年の作文
「祖母が、母とさびしそうな声で、何か話し合っていました。…『沖縄が日本復帰するために、塩が作れなくなったよ』と、祖母は説明してくれた」

“復帰” 当時の沖縄は、日本の法律が適用されたことで伝統的な製法による塩づくりが禁止されました。作文からはこの影響を受けた家庭の様子が分かります。