大阪マラソン(2月22日)の吉田響(23、サンベルクス)が大きなインパクトを残した。8km手前で先頭集団から抜け出して独走。中間点を1時間01分54秒と、2時間3分台が狙えるペースで突っ走った。30km通過は1時間28分07秒と日本記録ペースを維持したが、35kmまでを15分14秒にペースダウン。37kmで優勝したI.ハッサン(29、ジブチ)に抜かれ、日本人トップも平林清澄(23、ロジスティード)に譲った。フィニッシュでは2時間09分33秒の34位。なんとか踏ん張ってサブテンだけは成し遂げた。レース翌日にTBSの取材に応じた吉田が、ペースメーカーより速いスピードで独走した理由や、給水を取れなかった時の心境、ペースダウンしたときの状況、そして磁気テープを顔にまで貼った理由などを語ってくれた。

「ずっと横になってぶるぶる震えていた状態は初めてでした」

――レースから1日経った今の気持ちは?
吉田:
気持ちの変化は特になくて、良い大阪マラソンだったな、と心から思います。

――振り返って思うことは?
吉田:
やっぱりマラソンはキツかったですね、キツくなるとわかってはいましたが。ハーフマラソン、ロードレース、トラック、色々な大会に出てきましたが、一番キツかったです。

――フィニッシュ後、なかなか回復しなかったようですが、これまでも似たような状況になったことがありますか?
吉田:
自分は全てを出力しきるのがスタイルで、走った後に倒れ込むことはよくあるのですが、今回みたいな状態は初めてでした。低血糖と脱水症状で倒れ、車椅子で運んでいただいて、ベッドに横になっていましたが、最初は補水液すら飲めず、ずっと横になってぶるぶる震えていましたね。本当に寒かったので、湯たんぽを当てたり毛布でくるんでいただいて、体を温めるところから始めました。そこから補水液やゼリーを少しずつ摂取して、40分くらい経ってやっと座れる状態まで戻った感じです。

――キツさを感じた場面はどのあたりだったのでしょう?
吉田:
32km過ぎくらいから体のキツさは感じ始めて、35km過ぎてから目眩がしたり、体が思うように動かない状態になり始めました。

――そうなった一番の要因は、給水というところになりますか。
吉田:
自分がオーバーペースで入ったこともありますし、マラソンに持って行くまでの過程で練習や、もっと詰めることができた部分もあったので、1つの要因というより色んな要因が重なって、最後までもたなかったのだと思います。