地元代議士からのアドバイス

死刑を宣告される幕田稔大尉(米国立公文書館所蔵 1948年3月16日)

花山教誨師から葉書が届いた数日後、今度は山形県選出の代議士、海野(うんの)三朗から葉書が届いた。海野は、山形市の浄土真宗本願寺派の住職であり、幕田稔の父、幸吉と年近く、幸吉と同じく中学校の教員だった経歴があるので、幕田家とはどこかでつながっていたのだろう。海野は花山教誨師と話したことを葉書に記していた。

<海野三朗からトメに宛てた葉書 1948年6月17日>
六月十七日花山信勝博士と会談しました。あなたが直接にGHQに会って嘆願するのが一番有効である。陳情嘆願には実母や姉妹が直接に会ってお願いするのが最も有効なりと言う意見は私と全然同感でした。「親兄弟が泣いて嘆願するに非ずんば、罪は最も重いのであるから助かるのは困難と思う」との意見ですから、早くに上京して花山博士にその手続きをお願いなさい。


海野は6月17日に花山教誨師と会った翌日、速達でトメに葉書を送った。トメは長らくシベリア抑留と聞かされ、行方が分からなかった夫の葬式を出して、そう時間も経っていなかった。なんとか息子を助けてやりたいという海野の心情が伝わる。