《がんを発病し〝生と死〟の際に…不条理に立たされた人生をたどって》
夢の舞台を失い、戦場に散った若きジャンパー、久保登喜夫さんは、その後、どんな思いを抱えて生きようとしたのか。父親が登喜夫さんと〝いとこ同士〟の久保俊哉さんは今、その人生をたどろうとしている。
久保俊哉さん(68)
「私にがんが見つかった。担当医の先生曰く、はっきり言うんだよね。治療しなかったら余命半年って…。久保登喜夫に限らずだけれど、不条理の中に、多くの人がいるのかなと思ったり…ちょっと(自分と)重なるところがあるんですよね」

久保俊哉さんに中咽頭がんが見つかったのは、3年前のことだ。生と死の際(きわ)に立つ自分と、戦前、生きる道を奪われた登喜夫さんが重なって思えたと話す。
《幻の札幌五輪から特攻へ…若きジャンパーが母に宛てた遺書》
生きては戻らない、死ぬことを前提にした特攻。久保登喜夫さんは、何を思い、出撃に臨んだのか。心を知る唯一の手掛かりが、広島県江田島市にある海上自衛隊第一術科学校に保管されている。登喜夫さんが、母親の久保タマさんに宛てた遺書である。
【久保登喜男さんの遺書より(一部抜粋)】
「4月28日…本日、沖縄に飛んで、敵艦船に体当たりします。スキーの大会で、ジャンプ台に向かう時とは、また違った緊張ぶりです」
「御奉公できる喜びに胸は躍ります。私がスキーで家にいなかったので、母上はどんなに寂しかったかと思います。母上より先に、父上に会います」
「本当にこれが最後です。兎に角、立派に散る覚悟です。呉呉れも、御身体大切になさいますよう祈ります。登喜夫、母上様」


軍による検閲があった時代。もうこれ以上、生きることが許されない最期の日に、どこまで心の内を残すことが出来たのか。
将来を嘱望されながら、23歳で生涯を閉じなければならなかった若きジャンプ選手、久保登喜夫さん。私達が本当の思いを知ることは、もはや叶わない。














