
一方、クリスマスの主役はもちろん米軍兵士たちです。皇居前のGHQ(連合国軍総司令部・第一生命保険本館)には「メリークリスマス」のプレートが掲げられ、フィルムには日比谷の露天で国の家族に送るクリスマスプレゼントを物色する兵士の姿が映っています。
■銀座のクリスマスはまるでアメリカ
占領下の東京クリスマスはまるでアメリカです。
銀座の松屋や和光はTOKYO-PX(GHQの売店)として米軍に接収され、クリスマス期には米軍兵士とその家族が楽しげに並びました。これは出所不明ながら1947年撮影の銀座の様子です。


デパートで売られるプレゼント商品は”MADE IN OCCUPIED JAPAN”つまり「占領下の日本」です。みんな東京銀座のクリスマス風景だったんですよ。信じられます?
■その後「日本のお祭り」のひとつになっていく?
その後、52年発効のサンフランシスコ平和条約で日本は占領下でなくなりました。
高度成長が進み、東京都民は「クリスマスは戦後のハイカラなお祭りだ」とばかり、お祭り度を強めていきます。銀座のイブはとんがり帽子、赤坂のキャバレーではどんちゃん騒ぎが定番になっていったそうです。酔っぱらいが街中に溢れたのは、現在とあまり変わりません。

■右翼の親玉「馬鹿騒ぎは止めよ!」
こうした中、派手なクリスマス騒ぎは嘆かわしいという人が出てきます。そのひとりが右翼団体「愛国党」の赤尾敏党首でした。「戦争に負けたばかりじゃないか」「キリストは泣く、クリスマスの馬鹿騒ぎはやめよ」と、新橋駅西口で声を枯らして「辻説法」に立ったといいます。

しかし、この後、日本は高度成長を驀進し、やがて経済規模はアメリカに次ぐ世界第2位にまでのしあがります。そして、クリスマスは年々派手になり、バブルの頃に頂点を極めるのです。