
丸田さんは第二次世界大戦が勃発した昭和14年、当時、日本の植民地だった朝鮮半島北部の港町・羅津で生まれました。両親は奄美大島出身。3人きょうだいの末っ子で、父親は満鉄の技師でした。
(丸田卯禮男さん)「日本人はお金持ちだと朝鮮の人は話していた」

しかし、終戦間際、ソ連軍が進駐し、混乱から逃れるため、日本へ帰ることに。

当時6歳の丸田さんは、家族5人で、850キロ離れた中国の大連に向かいました。

(丸田卯禮男さん)「艦砲射撃をされたり、空から爆撃されたり。そういう状況の中で、あちこちに隠れながら、撫順かな、そこまで歩いて、相当の道のりだったんじゃないかな」
中国で終戦を迎えた丸田さん一家。日本へ戻る船から故郷・名瀬の港を見た時の父親の姿が、今でも目に焼きついています。
(丸田卯禮男さん)「(父が)ふるさとを見たんでしょうね。涙を流して、『お父さん泣いてるな』と」














