まだまだあったブームの火付け役 「インベーダーゲーム」も寛平さんから⁉
「負けそう」に続いてブームを起こしたあるギャグも、寛平さんにとっては印象深いものでした。
間寛平さん「インベーダーもそうですよ。インベーダーができる前にやってますよ。『誰がつけたかインベーダー、ビビッビビッ』。ほんでその3年後ぐらいにインベーダーゲームが流行ったんですよ。」
当時、このギャグをモチーフにして1976年には寛平さんが歌うレコード「わたしは宇宙人」がリリースされました。ほかにも大ヒットを飛ばした「ひらけ!チューリップ」など、音楽の分野でも足跡を残しています。
昭和の時代は関西で活躍をしていた間寛平さんですが、新喜劇で発信したギャグは東京にも、そして全国にも拡散され大衆の文化を生み出す歯車になっていたようです。
【全3回掲載 間寛平さんインタビュー】
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