「負けそう」の後にピンク・レディーが… 大ブームの火付け役に⁉
関西で大ウケした「負けそう」が、あらぬ方向へ行ったと寛平さんは続けます。
間寛平さん「(大阪の)番組で、西川きよし兄さんが司会でその時にずっと僕出てたんですよ。その時、いつも『負けそう』ってよく言ってたんですよ。それが、だんだん東京から森進一さんやにしきのあきらさんとか当時のすごい人たちが来て、その時に『負けそう』って番組でやっていたから、そんなのがどんどん流行っていってたんや」

番組は全国で放送されていたため、「負けそう」も認知度は上がっていたに違いありません。
間寛平さん「その2年ぐらいあとにピンク・レディーが出てきた」
1978年(昭和53年)に世に出され大ヒットした、ピンク・レディーの「サウスポー」
その中で出てくる「負けそう 負けそう」という歌詞は、あのギャグが発信元だと寛平さんは話します。
間寛平さん「ほんまに『負けそう』いうのすごかったですよ、流行って。関西では」














