バリスタへの夢を追った東京での日々

29歳で亡くなった深迫忍さん

忍さんは、大学進学を機に東京に出て、そのまま都内で生活していました。当初は特にやりたいことも見つからずにいましたが、ある時期からコーヒーに深い興味を持つようになりました。

「俺はバリスタになりたいな」

忍さんがこう話したとき、深迫さん夫妻は忍さんの変化に驚きました。それまでコーヒーが嫌いだった忍さんが、熱を持ってバリスタについて語る姿を見て、「この子がここまで好きになるものができたんだな」と嬉しく思いました。

父親は国家公務員でしたが、忍さんの「就職しない」という選択を支持しました。「人生一度しかないから、お前の好きなことをやれ」という言葉に、忍さんは感謝の気持ちを表しました。

「普通だったら、私立大学で4年間お金がかかったのに、公務員になるとか大手企業に勤めるとか、そういうことを親は思うんじゃないかなと、俺、思ったんだよね。でも、ありがとう。俺は父さんと母さんの子どもで良かったよ」

東京での生活の中で、忍さんは具体的な将来像を描いていました。

熊本に戻ったらコーヒーショップを開き、恋人にコーヒーを入れてもらい、自分は焙煎やプロデュースを担当する。店の隣には焙煎場とガーデンを作り、子どもたちがたくさん来て、多くの人が癒される場所にしたいと語っていました。