竹久夢二とスポーツ
金沢湯涌夢二館の川瀬千尋学芸員は、夢二とスポーツの関わりについてこう解説します。
金沢湯涌夢二館 川瀬千尋学芸員
「夢二は明治32年(1899年)に神戸中学校に入学し、外国人居留地のグラウンドで初めて野球をしたと言われています 。異国の文化に触れる体験は、若い夢二にとって非常に印象的だったのでしょう 。その後、早稲田実業学校に入ると早慶戦などの観戦も楽しむようになり、雑誌のアンケートには好きな遊戯として『野球』と明確に答えています。」
夢二が描いたスポーツは野球だけではありません。野球のほか、テニスをする人物の絵も数多く描いています。野球は観戦が中心だったようですが、テニスは実際に試合も楽しんでいました。
大正初期、夢二が仕事をしていた雑誌社にはテニスコートがあり、同僚たちと汗を流したという記録も残っています 。夢二の絵に見られる「早描きの躍動的な表現」は、まさにスポーツの一瞬の動きを捉えるのに最適だったのかもしれません。
川瀬さんは、今回の取材で初めて河野と夢二のかかわりを知ったとしながらも、二人の関係性に思いを馳せます。
金沢湯涌夢二館・川瀬千尋学芸員「当時は野球というスポーツ自体がまだハイカラな異国の文化だったと思われますので、感受性豊かな夢二は、野球草創期のパイオニアであった河野選手に対して、純粋な憧れを抱いていたのではないでしょうか 。絵を描くようになってからもその憧れは変わらず、野球観戦は青年時代のワクワクを味わえる大切な時間だったのではないかと思います。」














