今回の放送「報道のチカラ」では残留日本兵・横井庄一さんの1972年2月の帰国会見と、帰国後しばらくしてから回顧録出版のために聞き取りが行われた時の横井さんの肉声が納められたテープをAIで解析した結果をお伝えすることに。

取材に協力頂いたのは横井さんの甥の幡新大実(はたしん・おおみ)さん。横井さんの肉声が収められたカセットテープ14巻をご提供頂いた。

その細かな分析結果はさておき、グアム島のジャングルで1人戦争を続けていた横井さん本人が、その時の状況について、その回顧録では細かく振り返っている。

1972年1月24日にグアム島で発見されたあと、精神的に不安定になったというのは、これまでCBCテレビのドキュメンタリー番組『恥ずかしながら』シリーズでも再三お伝えしているが、帰国直前も「どうしてお前だけ一人で帰るんだ。わしも一緒に連れて帰ってくれ!」と戦友の亡霊につきまとわれ大変だったと記している。

そして、1972年2月2日。羽田空港到着後に都内で臨んだ記者会見では、部屋のどこかに昔の特別高等警察=『特高』や『憲兵』が私服で潜んでいると真剣に思っていたとも。グアム島からの帰国中の飛行機の中でも、その筋の『当局の情報部の人となら話す』と答えていたほどだった。

横井さんには、出征した当時の日中戦争の最中の日本にそのまま帰って来たような感覚が残っていたと考えられる。帰国後に入院した国立東京第一病院の『15階の特別室から16階の普通の個室に移され、入口の警備のガードマンが一人に減った時に、はじめて、これで殺されるのではないか?という疑心がすっかりとけた』とも回顧している。

甥の幡新さんはこう話してくれた。

『そう考えると、帰ってきた直後に横井さんが会見で口にしたさまざまなことが、逆にとても勇気のあることのように思えてきます。グアム島守備隊の敗戦の様子と、その原因を報道陣を前に堂々と報告したわけですが、語った敗戦の原因とは、【戦う武器がなかった】【兵隊ひとりひとりにまで武器が行き渡っていなかった。精神力では負けてはいなかった】ということでした。

戦後の日本人がそれを聞いても「そうだったね、それがどうかしたの?」くらいの感覚でしょうが、「戦争に負けたらどうしよう?」という言葉さえ口にすると警察に捕まっていた時代を過ごしていた頃からずっと変わらずに戦争状態だった横井さんの状況を念頭におくと、かなり勇敢な「敗戦報告」であったと思いますよね』

今回、AIが『恥ずかしながら生きながらえておりました』という帰国会見で注目された言葉の裏に、特筆すべき感情が現れていると解析した。その結果に私たち取材班も驚いた次第。

今回、8種類の感情に絞って横井さんの言葉の裏に透けて見えるのは何かをAIが解析したが、これまで伝えてこなかった客観的に分析された「感情」は、見る人にさまざまな思いを抱かせることになると感じる。


横井庄一さんの研究家でもある甥の幡新さんはあの帰国会見について、こう締めくくった。

『私服の特高や憲兵が潜んでいるはずと思っていた記者会見の場で、その思いを包み隠さずに口にすることができたのは、亡き戦友たちへの思いがあったからこそ。まさに地獄を生き抜いた執念があったからこその発言ですね』

戦争とは恐ろしい、悲しいものだと改めて感じる。

CBCテレビ 報道部 大園康志