長崎県立長崎西高校野球部が4日、春のセンバツ甲子園21世紀枠「長崎県推薦校」に選出された。県内屈指の進学校である長崎西は、この秋の県大会で準優勝、九州大会では初戦を突破し「ベスト8」に入った。学業と部活動の両立を徹底している点が高く評価された。長崎西が甲子園の土を踏んだのは1981年夏が最後。それ以来、実に45年ぶりの甲子園出場となる可能性がある。

筆者は西高野球部OB。…夢への大きな一歩となった吉報を前に、ある「呪い」が脳裏をかすめた。

44年前の悪夢 工藤の呪い…

【センバツ】“工藤の呪い”…ノーノー敗戦から44年 長崎西高が21世紀枠推薦校に 背負ってきた悪夢と続いてきた支援|TBS NEWS DIG

長崎西が最後に甲子園に出場した1981年夏。
初戦で対戦したのが、のちにプロ通算224勝を挙げる名投手・工藤公康さん(名古屋電気=現・愛工大名電)だった。

結果は16奪三振、ノーヒットノーラン。
全国の注目を集めた一戦は、西高にとって屈辱の記録となった。以来長崎西は40年以上甲子園から遠ざかり、“工藤の呪い”とささやかれることもある。

ノーノー敗戦が生んだ?おおきな恩恵とは

敗戦は痛烈だったが、その裏で“恩恵”も生まれたといわれてきた。それは「都市伝説」として、生徒の間で語り継がれている。

『当時、甲子園出場を応援するために全国のOB・OGから多額の寄付金が集まった』
『しかし初戦敗退で使い切れず、その残金が野球部の専用グラウンド整備に使われた』
『それでも使いきれなかった寄付金が、他のクラブにも「応援金」として配られ続けている』――と。