このころ新潟は、ほぼ途切れることなく大臣を輩出し、BSNテレビでは大臣誕生の特別番組を政権発足のたびに放送していました。
そして、角栄氏が亡くなった翌年には…
「想像もしておりませんでした、11か月前は。『奥さん』とか『田中先生のお嬢さん』とか言われておりましたので、ついこの間まで」
こう話すのは角栄氏の長女、田中真紀子氏。
平成6年(1994年)に村山内閣で科学技術庁長官の座に就きました。

父親譲りの語り口は“真紀子節”として注目され、小泉内閣では女性初の外務大臣に就任。当時の外務省を「伏魔殿」と真っ向から批判し、その鋭い舌鋒で国民的人気を集めました。

田中真紀子氏
「私に多分皆さま、多大な恐怖感を持って息を潜めておられるでしょう。情報はできるだけみなさんからください、どんなことでもいただきますから。私がしっかりと冷静に判断して『右、左』と言いますから。舵切ります、責任を取って。ですから情報はください、秘匿しないでください」














