戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。広島に投下された原爆で無念の死を遂げた元宝塚俳優の園井恵子さん。ふるさと岩手県では、彼女の存在を語り継ぎ、平和の尊さを紡いでいこうとしています。
元タカラジェンヌ 森奈みはるさん
「ふるさと、甘く懐かしい言葉です。岩手県は第一のふるさと。宝塚は今住んでいながら、心のふるさとなのです」
先月、岩手県岩手町で開かれたイベントに森奈みはるさんら3人の元タカラジェンヌが集まり、歌やダンスでステージを盛り上げました。岩手県北部の小さな町に宝塚OGが集う理由。それは、この地がある元宝塚俳優ゆかりの地だからです。
園井恵子、本名・袴田トミ。岩手町で幼少期を過ごすと、1929年に15歳で宝塚の門をたたいた園井。1942年の退団後は映画の世界にも活躍の場を広げます。
俳優という夢を叶えた園井でしたが、戦争の影響で、その活動は限定的なものに…
「進め移動演劇隊、きょうも行く」
太平洋戦争末期に園井が参加していたのが、地方で傷病兵などの慰問を行う移動演劇隊の「桜隊」です。
1945年8月6日のあの日、桜隊は広島にいました。広島に投下された原爆で被爆した園井は、その半月後に原爆症でこの世を去ります。32歳でした。
園井の宝塚歌劇団の後輩、内海明子さんの長女・浅子順子さんです。内海さんは神戸市の知人の家に身を寄せていた園井を看病し、最期を看取ったといいます。
園井の後輩の長女 浅子順子さん
「戦争が終わってから『これでやっとお芝居ができる』と言って、すごく喜んでいらしたというのを聞きました」
芝居への情熱を残しての無念の死でした。
園井の残した功績を語り継ぎ、平和を考えようと、岩手町でのイベントで企画されたのは、元タカラジェンヌと町民の共演です。
園井恵子を語り継ぐ会 柴田和子 会長
「やっぱり根底には、平和でなければ、どんなことがあっても寸断されちゃう。いくら夢、希望をかなえようとしても。そういう思いを皆さん、わかっていらっしゃる」
園井を語り継ぐ特別な舞台が幕を開けました。ステージでは町民合唱団も加わり、園井がつないだハーモニーを響かせました。
来場客
「いや素晴らしいしね。とにかく参加して語り継いでいかなきゃ」
園井恵子を語り継ぐ会 柴田和子 会長
「記憶が薄らいできますよね。だから、それを続けていくっていうことは、常に何か仕掛けていかないといけない」
未完の大女優とも呼ばれる園井恵子。その存在は、これからも私たちに平和の尊さを訴えます。
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