役者、映画プレゼンター、はたまた添削家――持ち前の“人間力”を発揮し、「多芸多才」を地で行く、俳優の赤ペン瀧川さん。劇中で見せる独特な存在感や、つい引き込まれてしまうトーク力など、そのマルチな才能は、47歳を迎えた今もなお、進化を続ける。
俳優の道に足を踏み入れたのは、まだ10代だった高校生の頃。そこから足かけ30年。本人の口から語られるのは、与えられた仕事に向き合ってきた結果、気づけば「続いてしまった」という、楽しく、ユーモラスな役者人生だ。
本名である瀧川英次からキャリアをスタートし、「赤ペン瀧川」を名乗るまでの道のりや、ライフワークにもなっている映画プレゼンターの仕事、そして原点でもある俳優業への思いについて、“プレゼンター”らしい魅力ある言葉の数々で、余すことなく語ってもらった。
「来るものは全部打ち返す」 “赤ペン瀧川”を名乗るまで
――瀧川さんは現在、俳優業を軸にどのような活動をされているのでしょうか?
今は主に、俳優と、映画プレゼンターとして活動しています。時には“ドラマプレゼンター”にもなって、映像作品を紹介しています。仕事量は、わりと同じぐらいだと思います。時期的には今、俳優業が多い感じですね。
――そのほかの活動はいかがでしょうか?
上映イベントのMCなど、発注を頂いたものは基本的には全て受けています。「来るものは全部打ち返す」みたいな状況には、なっている感じですね。
――俳優業でも使われている「赤ペン瀧川」という芸名の由来を教えてください。
もともと本名で俳優業をやっていて、16歳ぐらいから初舞台に立っていたのですが、30歳ぐらいの時にたまたまミクシィというソーシャルメディアで、迷惑メールを1行ずつ添削するというコミュニティーを作ったら、爆発的に人が増えて、急に「ライブやりませんか?」という発注が来たんです。その時に名乗っていたのが「赤ペン」でした。
――そこから、どのように俳優業でも「赤ペン」を名乗ることになったのでしょうか?
最初は分けていました。俳優業と添削業の二つで走り出したのですが、思いのほか“赤ペン”業の方が勢いが良くて。「赤ペン」を名乗っての映画紹介の仕事も、あっという間にテレビのレギュラーが決まり、世間の認知度としても俳優の「瀧川英次」を抜いていきました。すごく複雑な気持ちながらも、その二つをやっていました。
そんな中で、『MIU404』(TBS系ドラマ、2020年)という作品を、「赤ペン瀧川」として紹介したのをきっかけに、そのドラマのキャストとしても呼んでいただいた時に、じゃあ俳優業の時も「赤ペン瀧川」で統一してみようか、となりました。それが、思いのほか何の問題もなく…(笑)。それで、俳優業の方も、赤ペン瀧川になったという感じですね。
――撮影現場での反応は、いかがでしたか?
全てではないのですが、行く現場によっては、「赤ペン瀧川は、何やら映画を紹介していたにもかかわらず、最近ドラマに出始めた」みたいな感じで、俳優初心者に向けたような、丁寧な扱いを受けることもありました。「あれ?なんか新人のわりには、現場の流れ知ってるな…」みたいなふうにも思われていたかもしれません。