金融サービスの強化などを目的に鹿児島銀行と熊本の肥後銀行が経営統合して誕生した「九州フィナンシャルグループ」は設立から今月で10年です。グループとして取り組んできたことや、地域金融の今後について、鹿児島銀行の頭取も務める九州フィナンシャルグループの郡山明久会長に聞きました。
(九州フィナンシャルグループ 郡山明久会長)「10年先の時間を買うつもりで、10年前に決断して経営統合した」
1879年に「第百四十七国立銀行」として創立した鹿児島銀行。一方、肥後銀行は1925年に熊本の3つの銀行が合併して「肥後協同銀行」として誕生しました。
ともに経営基盤も盤石な中、2015年10月に経営統合し、持ち株会社の九州フィナンシャルグループが発足。互いに地域のトップ行として走ってきた隣県同士の両行の経営統合は当時異例で、驚きを持って受け止められました。
郡山会長は当時、鹿児島銀行の代表取締役専務として、経営統合に向けた実務を担いました。
(九州フィナンシャルグループ 郡山明久会長)
「(統合の)マニュアルがない。こうやったらいいという例がなくて。最初は本当に数人で打ち合わせ。それも鹿児島でも熊本でもなく東京で」
「周りの人や家族は『何をやってるんだろう?』って思ったかも」
統合後は3年ごとの中期経営計画を策定し、最初の3年は「協働」、次の3年は「融合」、さらにそこから「共創ステージ」として実際の改革がスタート。
少しずつ互いを知り、互いのいいところ取りをした結果、共に強くなったと話します。
(九州フィナンシャルグループ 郡山明久会長)
「例えば住宅ローンの推進をやろうというとき、当時、鹿児島銀行の方がお客様からの支持が強かった。肥後銀行の方が鹿銀の考え方を取り入れて、あっという間に強くなった」
「逆に事業性の資金の部分は肥後銀がしっかり分析して取り組む“分析力”。そういうところを(鹿銀が)学んで、取り入れていった」
大きなコンセプトは「統合と独自性」。鹿銀も肥後銀も、それぞれの地域に対して統合前と変わらず向き合っています。
(九州フィナンシャルグループ 郡山明久会長)「“独自性”は尊重しながら、より地域に密着した地域金融としてのサポートをやりたい。(親会社九州FGでは)もっと先進的なところ、経営管理・リスク管理・サステナブルファイナンス、あるいは市場との会話。そういうところの品質を上げる。“統合と独自性”という形を地銀の再編のモデルにしたい」
独自性は保ちつつも、グループとしては次々に新しいものを打ち出してきた九州フィナンシャルグループ。その代表例が、2017年に設立した九州FG証券。ほかにもDXの会社の子会社化や南九州の地場産品を販売するECサイトにも取り組みました。
(九州フィナンシャルグループ 郡山明久会長)「こういった会社が今、必要な金融サービスとして力をつけていくということがある意味これからの課題。(統合で)規模を持つことでそれができるようになった」
グループ設立直後の2016年から始まった日銀のマイナス金利政策は8年後の去年3月に終了。久しぶりに「金利のある社会」になって、最近話題になっているのが鹿児島銀行のこのコマーシャルです。
銀行機能に古くからある「預金」をPRするコマーシャルは意外にも思えましたが。
(九州フィナンシャルグループ 郡山明久会長)
「今、一番力を入れているのは、実は預金を集めること。預金を集めてそれを資金が必要な人のところに、仲介して回すのが金融本来の仕事。それをやるために預金があるということが源泉。地域にとって地域に預金がなくなるということは、地域でお金を回す源泉がなくなること」
Q.さらなる地銀の再編は?
「例えば九州の中でどうかといえば、少なくとも今はそういう感じはしない。九州フィナンシャルグループモデルのような、経営の再編のモデルケースを作っていると思う。(統合と独自性に)賛同してもらえる金融機関があれば一緒にやることもやぶさかでない」
この先の「九州フィナンシャルグループ」「鹿児島銀行」については。
(九州フィナンシャルグループ 郡山明久会長)
「地域の未来を創っていくお手伝いをしていきたいということが一番大きい目標。それこそが地域金融の本分。それをできるための体力や経営基盤を九州フィナンシャルグループとして整えたい」
人口減少社会の中、地域の未来を担う地銀として、挑戦を続けようとしています。