「宝島」の舞台と今は「地続き」

沖縄市で開いたトークライブ

真藤は直木賞受賞当時にも、「沖縄の人間ではない僕が書くという葛藤」を繰り返したと明かしている。それでも小説を書ききった思いについて、映画の舞台となった沖縄市で9月に開いたトークライブでは、こう語った。

「腫れ物に触るような、距離を置くような姿勢っていうのは、今まで中央の政府が沖縄に対してやってきたことと変わらないんじゃないかと、たとえ批判があったとしても議論の場に乗っていくことが大事」

トークライブの観客には、コザ騒動を経験した人もいた。

コザ騒動を目撃した男性
「コザ騒動が起こった後、変わってないのが、なんだろうなって。だからこの映画を戦後80年の今だからこそ、みんなに見てほしいと心から思いました」

では真藤は、今の沖縄をどう感じているのか。

真藤
宝島の舞台になった時代の物語は今と地続きの話だよ、というところを織り込んで書いているので、そういう意味では、その地続きがずっと続いているまま、沖縄は揺れ続けている。気になるニュースが常にあるし、どこか最前線というか、民主主義の戦いの最前線であったり、県外ではちょっと見えないようにされたりするものが、“むき出しで現れてくる” ところは、常に沖縄にはあると感じますね。

「沖縄、を書き続けたい」

――沖縄の人、沖縄以外の他府県の人に、映画や小説をどう捉えてもらいたい

真藤
小説の最大の効果は、自分が生きていない土地や知らない時代、海を越えた向こう側の国、そういう別の人の人生を追体験できること。そこにより深く入っていって本当の意味で他者を理解できるツールだと思うので。でも、その物語はややもすれば危険なものにもなり得る。陰謀論などに代表されるような、大きく狂わされてしまうようなものもあったりするんですが、片や自分の経験していない歴史や時間というのは、物語でないと理解できないところもあると思う。

一元的にしないというか、多層的にいろんな声や視点がせめぎ合うように描いていくことが重要だと思う。一つの枠に閉じ込めない、いろんな見方、いろんな考え方を、物語の中に並置していくというところですね。

だから、読む方々にとって入り込みやすい対象を用意していきたい。読む人も、自分に近いようなところから感情移入して読んでいただけるとありがたいなと思います。それは沖縄の方もそうですし、県外の方もそうです。

――9月に宝島の続編「英雄の輪」を刊行。沖縄を題材にし続ける思いは

真藤
「宝島」で、作家としての組成を変えられたと感じています。もともとアジア史、近現代史を題材に書いていたんですけれども、特に近現代の世界や日本を書いていくと沖縄に流れ着いてくるものがある。それこそ書くことが残っているうちは、書いていきたい、というのはあります。

――「英雄の輪」で終わらないと。どこまで、いつまで?

真藤
そうですね、まだ今も書いてるんです。沖縄戦の小説などは書いていきたいと思って。僕が死ぬまで、書けなくなるまでは書こうと思います。そうですね… 日米地位協定が変わるまで。ハハハ…

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映画「宝島」は全国の映画館で上映中です。(2025年10月5日現在)