わずか8か月で“崩壊” 「時間が経つにつれて、きしみが…」

細川総理(1993年8月・当時)
「本年中に政治改革を断行することを私の内閣の最初の、そして最優先の課題とさせて頂きます」
「政治改革」という旗の下に集まった野党。リクルート事件や佐川急便事件など、政治とカネの問題で、自民党への政治不信の高まりがあったのです。

そして、発足わずか5か月で細川政権は自民党とも協議し、「企業・団体献金の制限」や、「小選挙区制導入」などの、いわゆる「政治改革法」を成立させます。
ところが、政治不信の解消に向け、政権が走り出した矢先...

細川総理(1994年4月・当時)
「私自身がその道義的責任を負うべきものであると」
政権発足からわずか8か月。過去の政治資金問題などの責任を取る形で、細川総理は辞意を表明。8党派が集まった細川連立政権はあえなく崩壊したのです。国民の期待を裏切る形となり、再び政治の混迷を招いたことについて、細川さんは...

細川氏
「『政治改革をやらなきゃならん』という、それが効いているうちはうまく転がっていったんですけど、右と左、両方(政党が)あるわけですよね。右が納得しても、左が納得しないということは、たくさんありました。それはもう大変でした。時間が経つにつれて、きしみが多くなってきた」

その後、連立の主要政党だった社会党と、さきがけが離脱。すると自民党は、第2党だった社会党の村山富市委員長を総理に担いだ、「自社さ」連立政権を誕生させ、世間を驚かせたのです。
「得点になるような話ばかり」 新たな連立模索は?

かつての敵とも手を組む、巧みな政党間の合従連衡は、ドイツやフランスなど中小政党が乱立するヨーロッパでは当たり前。選挙の度に連立を組み替え、多様な社会課題に応えようとしています。
一方で、野党同士がまとまる気配が見られない今の状況に、細川さんは...

細川氏
「(野党が)小さな利益というか、主張にこだわって、何か得点になるような話ばかりして、なかなかまとまりそうもない。政治改革もやらないといけないし、日本をどうするのか、どういう風にしたいのか、そこのところを、語ってもらいたいと思う」
かつての8党派連立政権から30年あまり。新たな連立は摸索されるのでしょうか。