◆子どもを失った親としてのやりきれない思い…繰り返される悲劇と変わらぬ意識

一方で、父親は、飲酒運転による犠牲者が後を絶たないことに対するやりきれない思いも吐露します。

父親:飲酒運転はよくないもので、過去からずっと、いろんな悲劇を生んでいます。私たちのように、本来、ここから先、いろんな人生が待っていたかもしれない人たちの命を奪ってきています。

インタビューに応じる父親(2025年9月)

今回の方も事故前に11時間以上飲酒していて、そのあと「車で帰る」ということを平然と言う方だと聞いています。

結局、一部の人の意識は変わらなくて、飲酒運転を撲滅しようとキャンペーンをしたところで、キャンペーンを理解する人は飲酒運転をしないが、そうでない人は馬耳東風のままで結局、飲酒運転はなくならない。その歴史を繰り返していることが、子どもを失った者としては、また次の悲劇が生まれることに非常にやりきれなさを感じます。

友規さんが乗っていた車(2024年9月 北海道小樽市)

日本は、危ないものに関しては、すごくいろんな用心をしていて、銃刀法も銃などの携帯を認めていないし、いろんなところで守っているはずなのに、アルコールに関しても、ようやく公共の交通機関の方々は、運転前に、アルコール検知器などをやりましょうとなってきているようですが、一般の人たちは、全く何の規制もないです。

結果的に本人が目をつぶってしまえば、酒を飲んで運転している人がいくらいても分からないし、事故が起きなかったら分からない状態になっています。

究極的には、これだけ科学が進んでいるのだから、アルコールを飲んだら車が動かなくなるようなシステムに本当にしてほしいと心から思います。でもおそらくは、そういうシステムを作ること自体は、大変なことなのだろうと思います。

また、お酒を飲んで運転したこと自体は、はっきりしているであろうと思うんですけれども、結局、事故から1年余り経っても罪状が確定しない。審判が下るに足る材料が集められないのかどうかはわからないですが、1年余りにわたっていて、人を裁くということは難しいことなのかなと感じます。

処分保留のまま釈放された男性(2024年9月 北海道小樽市)

現実的な事実は相当はっきりしているのではないかと思うのですが、それを立証して罰するというのがこんなに難しい、適切に裁かれることがこんなに難しいことなんだなというふうに感じます。

飲酒運転していた男の車(2024年9月 北海道小樽市)

我々にとって1年間は停止、一方で、事故を引き起こした方は処分保留ですから、時間は止まっていない。こちらの時間は止まっているのに。やはりやられ損で、結局待たないといけない。待っている方は、家族含めて、非常に不安定な精神状態でずっといるわけですし。こういうところにいろんな不条理、不条理と言ったら言い過ぎかもしれないですが、いろんな被害を被ったなと感じています。

【第3部】へ続く…司法の判断に対する両親の思い、“判断が出ない”理由について専門家の見解

■この記事は、3部構成になっています。
【第1部】「どれだけ泣き叫んでも、本人は二度と目を覚ましてくれない」24歳の息子を奪われた両親…受け入れられない現実
【第2部】「人殺しとしか言いようがない」処分保留で釈放された飲酒運転の男性への強い憤り24歳息子を奪われた両親の叫び
【第3部】1年経っても処分保留のまま…「静かに待つしかない」両親の葛藤と願い "判断が出ない"理由について専門家は

※亡くなった田中友規さんの両親へのインタビューは、事故から1年を前に、9月15日に行ったものです。