夢を追った矢先の再発、そして最期の笑顔
がんの子どもを守る会 富山支部代表
氷見三佐子さん
「いじめを受けていて、『放射能が移る』って言われたこともあるそうです。苦しい思いしていたんだなって。『あの人ハゲてる』みたいな目でいつも見られていました」

それでも長慧さんは、持ち前の明るさを失いませんでした。6年生になると病状も収まり、再発しない状態になりました。

これは長慧さんが17歳の時に描いた作品です。小児がんの子どもたちを助けたいとの気持ちが込められています。

がんの子どもを守る会 富山支部代表
氷見三佐子さん
「入院していた時は、ずっとベッドの上で苦しんでいたので、羽ばたくって。翼があれば空を羽ばたいていける…自由に(羽ばたいて)いけるって、そんなイメージです」

ところが18歳、高校3年生のとき、脊髄に腫瘍が広がりました。
診断から10年間、再発がなければ完治と言われていましたが、あと2年というところで再発しました。

がんの子どもを守る会 富山支部代表
氷見三佐子さん
「中学校の間は全く再発がなくって、自分が一度助けてもらった医療関係の仕事に就きたいということで、高校からは一生懸命勉強していました」

ベッドの上でも夢をあきらめず、医学書を読み続けていました。

「治療は難しい。けれど絶望はしない」失った力ではなく残された力を使い切る、親子でそう決めました。
入院中も大好きなコーヒーを味わい、笑顔を絶やさなかった長慧さん。
病院スタッフも、その願いを懸命に支え続けました。
がんの子どもを守る会 富山支部代表
氷見三佐子さん
「鼻管栄養で長男の好きなコーヒー牛乳やりんごジュースを入れてもらいました。それはなかなかしてもらえないことだと思うんです。あと、“どん兵衛” が好きでドロドロにして、それも温かい器に入れてもらってちょっと食べさせてもらったり。全部我慢するんじゃなくって。最後の希望というか、望みというか。意識がなくなるまで毎日笑ってたんですよ」