戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。80年前、日本統治下で終戦を迎えた台湾。台湾出身の元日本兵が語ったのは「教育の恐ろしさ」でした。

彭さん、97歳。日本統治時代の台湾で生まれ育ちました。

彭金木さん
「私はこれですよね。台湾の習慣、文化をなるべく日本に切り替える」

日本による教育を受けた彭さんは「日本軍の航空隊員」を志しました。

彭金木さん
「あの時、もうすでに日本教育で、わたしの頭もだいぶ日本化していた」

時は戦争真っただ中。戦況が悪化しているにもかかわらず、日本政府は「勝っている」と、教育や宣伝を通じて、国民に嘘をつき続けていました。

しかし、彭さんが日本で見たものは…

彭金木さん
「アメリカのB29は自由自在に日本をはしっている。制空権が全然ない。教官の言うことは嘘ばっかりだよ」

日本は戦争に勝っているのではなかったのか?彭さんの中で、疑問が膨らんでいきました。

そして、日本は負けました。彭さん、17歳の夏でした。

終戦から半年。ようやく帰った彭さんを待ち受けていたのは、蒋介石率いる国民党が統治する「全く別の台湾」でした。

彭金木さん
「日本語しか使えない、ここはもう中国語。『俺はもう全然できない、困ったな』」

日本統治時代、その後の国民党支配、そして今の民主化した台湾と、時代に振り回された彭さんは、いま「教育の恐ろしさ」をかみしめています。

彭金木さん
「僕は昔は日本人として戦ったけど、これは間違いだと自分で反省しました。みんな政治家に左右されて、利用されて、自分の命を捨てるまでになる教育が恐ろしい」

教育や宣伝の恐ろしさを身にしみて感じた彭さん。若者たちには「情報をうのみにせず、自分で考えてほしい」と願っています。

彭金木さん
「歴史というものは本当に勉強しないと、実際のことは了解(理解)できないです。お互い敵視しないで、将来は一緒に生存していったらいいなと僕は思うんです」