幼少期は人見知りが激しいところがありながら、キラキラしたものに惹かれる子どもだった。

赤坂麻凪さん
「プリキュアとかごっことかする時に、『ピンクを選びたい』とか『真ん中(のキャラクターを)選びたい』だけど、そんな性格じゃないからひっそりとする。常にお母さんの後ろからのぞいて人の話を聞くような子どもでしたね」

母親のすすめもあり、小学1年生からダンスを習い始め、6年生のときに新聞の広告がきっかけで、『りんご娘』への道を歩み始める。

赤坂麻凪さん
母が『(オーディションを)受けてみなさい』と。ダンスもやっていたし、りんご娘という存在も知っていたので、芸能活動を始めるきっかけに。東京まで行くのは遠いなと思っていたので、青森で始めことができるなら『やってみたら?』っていうので…」

練習生からのスタート。基礎トレーニングや歌とダンスに加えて、一般常識やマナーも教わった。

赤坂麻凪さん
パフォーマンス以外にマナー講習もあって、『字をきれいに書きましょう』とか、そういうことも教えてくれる事務所でした。ありがたかったですね、その年齢で学べるっていうのは」

『アルプス乙女』で活動しながら、『りんご娘』を目指してレッスンを受けた。周りのライバルに負けないように、常に気を張っていたと振り返る。

赤坂麻凪さん
「すごく人数も多い時期だったので、『次は誰がりんご娘に上がるんだ?』とみんな気にかけてはいたので、たぶん周りの人たちに聞いたら、私の性格は今よりも尖っていたと思います」

その後、見事チャンスをつかむが、挫折を味わうことになる。