戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。太平洋戦争の末期、上陸する敵を本土で迎え撃つ、本土決戦の計画が存在していました。そのことを今に伝える軍事施設が青森県の八戸市に残っています。
地下に造られているのは、太平洋戦争で上陸した敵を迎え撃つための拠点、トーチカです。本土決戦に備えて青森県八戸市では、山間部に多く造られました。コンクリート製で地下にあり、内部に数人入ることができます。
南郷歴史民俗の会 外舘佐知夫さん(77)
「高さは3メートル弱。当時、人が手で練ったコンクリート」
このトーチカは横幅がおよそ9メートル、戦闘指揮所だったと見られます。敵が中に侵入した時に備えた仕掛けもありました。
南郷歴史民俗の会 外舘佐知夫さん(77)
「銃を持った人がここに隠れて、銃でトーチカに入ってきた人を狙う。防空壕は、一般人が隠れる場所。トーチカは、隠れて相手を待ち伏せする攻撃型の施設」
想定されたのは、本土防衛の最後の砦・沖縄でくり広げられたような地上戦です。
大本営は沖縄に続く本土決戦に備えて、八戸を含む全国3つの地域で「沿岸部の築城」を指示。これを受け、八戸で造られたのが、トーチカなど86基でした。その場所が山沿いに集中するのは、上陸した敵が川沿いに南下することを想定したためとされています。
このトーチカは見張りを考えて、高台に造られました。
八戸市 差波紀一さん(81)
「この辺は昔、全部畑だった。穴から顔を出して、見張り用」
工事は1944年10月に始まり、延べ98万人が動員されたといわれています。当時、工事に携わった近藤孝子さんです。
トーチカ工事で学徒動員 近藤孝子さん(95)
「60キロもあるセメント袋を2人でソリにのせて引っ張った。重くて、痛かった」
終戦から80年。いまでは管理する人がおらず、長く放置されたことで、中に入ることができなくなったトーチカも多くあります。
南郷歴史民俗の会 外舘佐知夫さん(77)
「個人の持ち主に『整備しなさい』と言うのは無理がある。どう保護して、後世に残すかを考えてもらわないと」
本土決戦が迫っていたことを伝えるトーチカ。どう後世に引き継ぐかがいま、問われています。
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