ハンセン病回復者として、そして全国の療養所入所者を率いるリーダーとして、国の政策と向き合い続ける邑久光明園入所者自治会の屋猛司会長。1942年に奄美大島で生まれ、32歳で入所。以来、入所者の人権回復と尊厳のために活動を続けてきました。
現在、全国の療養所にいる入所者は605人、その平均年齢は88.8歳に達します。時間が限られる中で、ハンセン病問題の解決と歴史の継承は喫緊の課題です。
今回は、ハンセン病療養所の世界遺産登録を目指す推進協議会の山下晴海理事長が聞き手となり、屋会長が歩んできた道のり、国の隔離政策がもたらした筆舌に尽くしがたい苦難、そして今、私たちが向き合うべき課題について、その胸の内を語っていただきました。

「人権というものはありませんでした」隔離政策下の壮絶な実態
――本日はお忙しい中、ありがとうございます。まず、屋会長の自己紹介を補足していただけますでしょうか。
(屋 猛司会長)
「邑久光明園の自治会長と、全国ハンセン病療養所入所者協議会の会長を令和5年から務めており、全国の療養所を回っています。
今、光明園の入所者は44人で平均年齢は89.5歳。私も83歳になりますが、若い方で、下から4番目ぐらいです。全国の入所者も、先月末で605人ですが、今月の末には500人台になっているでしょう。昨年1年間で80人ぐらい亡くなっていますから」
――現在の入所者の方々が置かれている現状は、昔と比べれば改善されてきているのでしょうか。
(屋会長)
「ええ、今は各療養所の職員が入所者に寄り添ってくれていますし、厚生労働省も私たちの要望事項の多くを聞き入れてくれます。昔は東京まで出向いていましたが、今は厚労省のほうから各療養所へ来てくれるようになりました。自分の部屋で診察や点滴を受けられ、看取りも部屋でやってくれます。本当に良くなりました」
――一方で、過去には想像を絶するような厳しい生活があったとお聞きします。強制隔離政策の中での生活はどのようなものだったのでしょうか。
(屋会長)
「昔は人権というものはありませんでした。物扱いです。新しい薬が開発されれば、人体実験も行われました。動物でやるべき実験を、人間でやってしまう。そのせいで目や耳を悪くした人がたくさんいたと聞いています」
――人権が全くなかったということですね。
(屋会長)
「とんでもないことを平気でやっていました。一番分かりやすく言うと、15畳の部屋で夫婦3組が、仕切りのようなものだけで一緒に生活させられていたこともあります。お金も部屋もなかったからでしょうが、信じられない状況でした」