これまで7回にわたり連載してきた「シベリア抑留記」。これは敵国でもあったロシア人女性、クリスタル・ターニャとの禁断の恋のエピソードでもある。

戦後80年、自身もこれまで80年間封印してきた逸話というが、本人の許しを得て、ここに解禁する。知られざるシベリア抑留体験記として。

ターニャと別れを告げ、京都府の舞鶴港で日本の土を踏んだ長澤春男さん。当初は山形へ向かう予定だったが、迎えにきた兄がどうしても自宅へ寄って欲しいと懇願したため、名古屋へ帰った。しかし「本当は山形へ帰りたかった」と胸の内を明かしてくれた。

山形では「春男くん帰還おめでとう会」を開くため、住民総出でお祝いをする準備がされていたからだ。当時、シベリアからの帰還は、あの過酷な環境で耐え抜いて生きてきた大和魂を賞賛する風潮があった。それは、アメリカの傘下で新たな国の歩みを始めたことで、国民が忘れかけていた日本の精神性を思いださせてくれた出来事でもあったのだろう。

しかし、同時にアメリカ統治下で欧米流に染められていた日本では、捕虜とはいえソビエトで生活してきた春男さんら帰還兵は、共産主義者のアカのレッテルを貼られた。目に見えない偏見は、容赦なくシベリアの帰還兵を苦しめたというが、春男さんは意に介さなかった。

むしろ、シベリア抑留の経験を活かし、それをプラスにかえて人生を歩み始めたのだ。