
伊佐市で生まれた大久保さん。太平洋戦争が始まった1941年。16歳の時に朝鮮半島に渡り、平壌の兵器製造所で働きました。
19歳で歩兵部隊に徴兵され翌年、終戦を迎えますが、そのまま捕虜となり、3年間、シベリアで強制労働を強いられました。

Q.どんなことをしていた?
(大久保利成さん・100)「伐採が主」
Q.寒かった?
「寒さも零下40度を下回ったりした。寒さと食糧不足でものすごく死んでいった」
23歳の時に帰国し、父が営んでいた葉タバコ農家と養蚕業を継いで、28歳で妻・勝子さんと結婚。3人の子どもに恵まれました。
幼いころ、薪とりのために家族で山に行くのが好きだった大久保さん。仕事が安定してきた40代、仕事の合間をみて、山に登るようになりました。
今は病院に入院している妻・勝子さんも支えていました。
(大久保利成さん・100)「とにかくひまを見つけては山に登っていた。(妻は)昼ごはんの握り飯をつくってくれて、何も言わなくて自由に登っていた」
