“音楽の街”浜松市に本社を置く楽器メーカー・ヤマハには「日本一」の吹奏楽団がある。全国コンクールで何度も金賞に輝いた吹奏楽団。国内屈指のアマチュアバンドには、「野球応援バンド」というもうひとつの顔があることをご存じだろうか。
「設計」「部品成型」「組み立て」「はんだ付け」「研磨」…
ヤマハ吹奏楽団のホームページの団員紹介ページをみると、メンバーの名前の下には“作業工程”が記されてる。楽器演奏に携わる団員70人のうち、約8割が楽器製造の工場に勤務。先ほどの「工程」は、すべて団員の仕事だ。
自分たちが奏でる楽器を自らの手で作る。これがヤマハ吹奏楽団が「匠のバンド」と呼ばれる理由だ。打楽器鍵盤塗装担当の宇江原駿さん(打楽器)は「楽器を作りながら、演奏もする楽団は世界を探してもないと思うので、ヤマハブランドのクオリティーの維持をしっかり意識しながら働いている」と胸を張る。
1961年創部、ブラスバンド日本一を決める全日本吹奏楽コンクールで36回の金賞を獲得したヤマハ吹奏楽団。練習日は意外にも少なく週2回。団員は仕事を終えると浜松市中央区の本社の敷地の一角にある練習場に集う。仕事優先のため、毎回全員が揃うわけではない。それでも、団員はパートの仲間と切磋琢磨し、自らの演奏に磨きをかけていく。
「もともと野球応援のために結成されて、そこから独立して今の形になった」
クラリネット担当の佐藤直史さんが教えてくれた。国内屈指の吹奏楽団には、都市対抗野球3回優勝、日本選手権も制した実績を持つ野球部応援のために結成したという歴史がある。
「どれだけ音を出しても怒られない」
「普段やらないような曲もたくさんあるのでワクワクする」
団員にとって、野球応援は楽しみの一つだという。
企業のプライドとプライド、地域の意地と意地がぶつかり合う都市対抗野球。今年で7年連続出場となるヤマハにとって東京ドームでの応援は、いまや欠かせない「夏の風物詩」になっているという。初めて野球応援に参加する新入社員の川原玲音さん(トロンボーン)も「『音楽のヤマハだ』って誰もが思ってもらえるので、その名に恥じぬような演奏も意識しながらやっていきたい」と意気込む。
浜松から東へ約250キロ離れた東京ドームで行われた都市対抗野球大会。ヤマハの初戦は、月曜日のナイターだった。メンバーの多くが仕事のため、応援に参加できた団員はわずか8人。それでも、頼もしい助っ人が集結した。楽団のOBや応援社員だ。毎試合40人ほどの編成で応援演奏を行うが、団員以外の参加希望者という人は多いという。
約30年ぶりに野球応援に来たという元団員の仲田薫さんは「この雰囲気が大好き」だという。入社2年目の星野瑛彗さんはクラリネット担当、「初めてのことなので緊張もあり楽しみもあり、いい体験をさせてもらっている」と笑顔だ。
演奏するレパートリーは長年変わらないという。
『ウィリー』や『Runner』、『暴れん坊将軍』といった野球応援の定番曲を始め、イニング間には、『イン ザ ムード』や『OMENS OF LOVE』といった名曲を披露。さらに、「♪ド・レ・ミ・ファ・ソ~ラ・ファ・ミ・レ・ド」のフレーズでお馴染み、『池の雨』を奏でるとスタンドから「やっぱり、ヤマハはこの曲だよね」と声が上がった。
さらに、今年は野球部からの希望で新曲を披露。メジャーリーガーの登場曲で一躍有名となった『Narco』を奏でるトランペットのハイトーンに、皆が酔いしれた。さらに、SNS上で“ドラムニキ”と呼ばれるドラムの激しいビートがファンのテンションを高ぶらせる。演奏会やコンクールとはまた違った、“もうひとつの顔”の演奏が聞きたくて、ヤマハ応援席にやってくるという吹奏楽ファンも多いという。
試合は2回、ベテラン矢幡勇人選手の3点本塁打が飛び出すと、得点時に演奏される『天国と地獄』が響き渡る。応援に来た社員やファンが歓声を挙げながら一心不乱にタオルマフラーを振り回す。「バンザ~イ!バンザ~イ!」。“匠のオト”が東京ドームの雰囲気を変えた瞬間だった。
試合終盤には、『黄色いリボン』『草競馬』『サンバデジャネイロ』を繰り返す十八番の「エンドレス」演奏にあわせ、約7,500人の大応援団は「Y・A・M・A・H・A」の大合唱。チームも4対1で見事初戦を突破した。
「みなさん、テンションが上がって演奏のピッチが速くなったがそれもいい」とほほ笑む佐藤さん。「すごく熱い演奏になった」と勝利をかみしめた。宇江原さんは「野球応援では後押しする演奏を心掛けるので、普段はお客様に音楽を届ける感じだが、きょうは熱量を届ける感じ。“ヤマハのオト”を届けることができた」と充実の笑顔を見せた。