75年封印してきた記憶の引き出しを開けたワケ

以来75年間、被爆の記憶を仕舞いこんできた富美子さんー。

しかし、2020年8月9日、長崎の平和祈念式典で、総理が広島とほぼ同じあいさつをしたことで、封印してきた戦争への怒りが爆発しました。

被爆体験を公にし、戦争反対を発信することを決意。

2020年8月10日の投稿『91歳になるまで声をあげなかった自分が情けない。しかし、これからだ。大声をあげていく。』

森田 富美子 さん「若い人たちに言いたいのは、しっかりと国会を見るとか、ニュースをよく見て、自分の目で確かめてやった方がいい」

富美子さんのXをフォローする中学生「僕たちの世代でも、戦争は絶対ダメという宣言を大事にしていってほしいっていうことを聞いたので、僕もこれから、Xでそういう投稿をして、絶対に(戦争を)なくせるようにしていきたいと思いました」

トークイベント参加者「本当に語り継ぐ人がいなくなる。だから語り継いでいかないといけないと強く思いました」

戦後80年。時代も風景も変わったふるさと長崎で、学徒動員時代の仲間と再会し、平和祈念式典にも参列した富美子さん。

両親や弟たちの分まで日々を謳歌し、一人でも多くの人にメッセージを届けます。

森田 富美子 さん「もう少し長生きさせてもらって『戦争反対』『核兵器反対』を言い続けていきたいと思う」

長女・森田 京子 さん「まだまだこれからだって。ずっと言ってます。ね!」