8月30日は「富士山測候所」記念日です。かつて極寒の山頂で観測に挑んだ人々の物語や富士山噴火に備える最新の取り組み、意外な雑学まで富士山の空と大地の物語を見ていきましょう。(アーカイブマネジメント部 萩原喬子)

富士山測候所と日本の安全を守る富士山レーダー

富士山に初めて測候所が建てられたのは1895年(明治28年)。気象学者である野中至(のなかいたる)が私財を投じて建設したのが始まりです。1932年(昭和7年)には中央気象台臨時富士山頂観測所が設立され、通年の気象観測が開始されました。富士山の観測は日本の防災にも大きく貢献してきました。特に重要な役割を果たしたのが、1964年(昭和39年)に設置された富士山レーダーです。

気象予報士 森 朗氏:
1959年の伊勢湾台風で甚大な被害を受けた日本は、接近する台風をいち早く観測する必要性を痛感し、富士山レーダーを設置しました。標高3776mの山頂に設置されたレーダーは日本の広範囲をカバーし、1999年に役目を終えるまで台風の監視にも大きな力を発揮しました。

1968年、富士山頂付近の空撮。富士山測候所が映っていました。

富士山の測候所での仕事

富士山測候所で働く観測員たちの仕事はまさに命がけでした。極寒と強風に常にさらされ、物資の運搬も困難な過酷な環境に耐えながら、2か月に1度、20日間、泊まり込みで観測を行っていました。TBSには観測員に密着した映像が残っていました。観測所に行くまでが大変で物資や道具を乗せたブルドーザーと徒歩で向かっていました。ところが技術の進歩が過酷な環境での観測を一変させ、遠隔操作でデータを取得出来るようになり、2004年(平成16年)富士山測候所は無人観測施設となったのです。

気象予報士 森 朗氏:
富士山頂の最低気温は-38.0℃、最高気温は17.8℃。天候の急変で3日間行方不明になったり、下山の途中で骨折したりと常に危険と隣あわせだったそうです。

左上:荷物を乗せた大型ブルドーザー/右上:出迎えた交代要員/左下:風速を計りに行く隊員/ 右下:楽しみのひとつ、食事の時間