
大嶺正次郎さん:
「内地から沖縄に帰ってきて(友達の)お母さんを訪ねていったら、そのお母さんが石を取って、私にボンボン投げるわけ。側では(亡くなった友人の)弟が見ていた。『お前は生きて、うちの息子は死んだと言いに来たのか』と石を投げる。なんで私にこんなこと言うかなあ…と」
生き残ったことを責められる。その言葉は大嶺さんの心に深く突き刺さります。その記憶から、大嶺さんは自身の経験を語ることや、対馬丸の関係者と会うことを避けるようになりました。
しかし戦後70年がたった頃、孫が通う小学校からの依頼をきっかけに、少しずつ自身の経験を語り始めました。
大嶺さんの自宅玄関には、人生の “原点” として大きな対馬丸の写真が飾られています。