「1発魚雷が当たって、船がごぉー、揺れた。そして火柱がたって、燃えていた」

船底から突き上げる衝撃。その瞬間、子どもたちの世界は一変しました。1944年8月22日、米軍の潜水艦の攻撃を受け、撃沈された学童疎開船「対馬丸」。784人の学童を含む1484人が命を落としました。

生存者の一人、大嶺正次郎さん(94)は当時13歳。戦災から逃れる疎開のために乗った船が、出航からわずか1日で沈没。大嶺さんは必死に甲板へと駆け上がり、海に飛び込みました。耳に響いたのは、子どもたちの叫び声でした。

大嶺正次郎さん:
「(乗っていたのは)全部学生だから、『お母さん助けて』と耳に入るわけ。渦に巻かれながら」

ボートにしがみつき4日間、波に揺られ、衰弱していたところを宮崎県沖で漁船に救われました。しかし、生き残ったことは決して “喜び” だけではありませんでした。