“遠足感覚”だった学徒動員で…
極秘作戦だった風船爆弾。作っていたのは、学徒動員で各地から集められた女学生たちでした。
渡邊千香学芸員「陸軍の考えで、紙を使った兵器ですので紙を破かないように、繊細な指先を持っている若い女性が製作したほうがいいであろうという考えがあり、全国各地の高等女学校の生徒たちが風船爆弾を作っていました」
風船爆弾を作っていた、大熊町の新妻篤子さん。1944年7月、相馬市の中村高等女学校時代に郡山市の軍需工場に動員されました。当時は、遠足感覚だったと話します。
新妻篤子さん「郡山に行って喜んでいたら風船爆弾作りだと言われた。絶対に口外してはならないと、スパイもいるからと」
工場では、朝から晩まで爆弾作りを強いられ、望んでもいない戦争に加担させられました。

新妻さん「アメリカに飛ばすんだからよく貼り付けろよと言われて、コンニャク糊をべったりくっつけて、雑巾をかけるように何回も撫でて、風船の形にして空気が入るから、そこも検査して。とにかく検査はしたな」