戦争末期の“秘密作戦”
それは「フ号作戦」別名=風船爆弾。太平洋戦争末期に、旧陸軍が秘密裏に進めた作戦です。使用するのは、和紙でできた直径10メートルの気球。そこに爆薬を吊り下げ、およそ8000キロ離れたアメリカ本土へ向け、放たれました。

いわき市勿来町にある歴史資料館。ここには、風船爆弾にまつわる貴重な資料が保管されています。
いわき市勿来関文学歴史館・渡邊千香学芸員「こちらは風船爆弾の球皮の一部です。和紙をコンニャクで作った糊で貼り合わせて気球を作った。秘密作戦だったので、終戦と同時に資料が廃棄されたり燃やされたり、ほとんど当時の資料が残っていないと言われている」

風船爆弾の基地が置かれたのは、いわき市勿来町など太平洋沿岸の3つの地域。

終戦の前の年、1944年11月からおよそ5か月間にわたり、9300発ほどが打ち上げられ、およそ1000発がアメリカ本土に到達。1945年5月には、オレゴン州で6人が犠牲となりました。

渡邊千香学芸員「当時は太平洋戦争の末期で、日本の大きな都市が空襲され、戦局はだいぶ悪かった。そのなかで直接アメリカ本土を攻撃する唯一の作戦ということで、かなり期待を持って行われていた作戦だったと思う」