多くの命が奪われた戦争で、80年前、福島県内からもアメリカに向けた攻撃が行われました。その兵器を作ったのは、学徒動員された女学生です。「生きることだけ考えていた」戦争に加担させられ、青春を奪われた女性の証言です。
大熊町出身・新妻篤子さん「今度こそ死ぬのかなと考えていた。大事な少女時代は戦争、戦争で終わったから、青春も何もなかった」
大熊町に暮らす新妻篤子(とくこ)さん(97)。戦時中、郡山市の軍需工場で“ある兵器″を作っていました。

新妻さん「こんなものアメリカに行くのかなと言っていた。ずいぶん行った、アメリカに行ってずいぶん人も死んだ」