忘れることができない『おめでとう』
戦況が苦しくなるにつれ、飛行場は次第に「特別攻撃隊」いわゆる「特攻隊」の訓練基地となりました。多くの若者が、自らの命を犠牲にして敵艦に攻撃をしかけていきました。
大槻さん「常磐線で汽車でお骨が入ったと、小学校の生徒がこの道路の両脇に並んでお迎えしたという経験があるんですよ。戦争に行くとこういう形で、命を落として戻ってくるみたいな、これはもう小学校5年、6年でもはっきりと記憶しているというかもうとんでもない話だと」

飛行場の跡地を見下ろす高台にある「慰霊碑」。そこには、大勢の戦没者の名前が刻まれています。戦地へと向かう若者たち。当時小学生だった大槻さんは、違和感を感じていました。
大槻さん「最後のお別れみたいな、テーブルを囲んでやるが、親戚や兄弟が来たとみんなまとまると『本当におめでとうございます』と。死んで帰ってこられるかどうか分からないのに、おめでとうと言われるのはうんと子どもながらに忘れることができない。おめでとうという話はないでしょうと子どもながらに思っていたが」