水中に設置され爆発させる兵器=機雷。終戦直後の1945年8月末、七尾湾で木造船が機雷に触れ爆発し住民ら28人が犠牲となる事故がありました。戦争が終わった後も残された爪痕。

終戦から80年がたち、戦禍がないといわれたふるさとで起きた戦争の悲劇を語り継ぐ活動続ける男性の思いを取材しました。

七尾市で開かれた平和展。戦時中の資料が並ぶ中、一角に展示されていたのはアメリカ軍が投下した機雷に取り付けられていたパラシュートです。


太平洋戦争末期、アメリカ軍は日本の海上輸送路を封鎖するため全国の主要な港に機雷をばらまきました。その数、1万個あまり。七尾湾にもおよそ440個の機雷が設置されたといいます。

七尾市の元小学校教諭 角三外弘さん
「この寺島の奥の方にあるコシキ島から西500メートル位の地点で第二能登丸が機雷に触れて爆発した。水柱は30~40メートルの高さではないかと言われている」