能登半島では地震と豪雨の被害を受け、今も2万人近くが自宅を離れて生活しています。こうした中、奥能登の集落で検討されているのが、地域の繋がりを維持したまま安全な場所に移り住む「集団移転」。大切な土地を離れる決断を下した住民たちの、本音と葛藤とは。

倒木も電柱も地震後そのまま…集団移転を決めた集落はいま

丹保眞一区長(当時)
「地区で協議した結果、現在のコミュニティを維持したまま将来の安全を確信するため、災害リスクの少ない市街地での移転再建を決断いたしました」

2025年2月、輪島市の坂口茂市長のもとを訪れたのは、別所谷町の住民。集落の土地を手放し、地元を離れることを決めました。

輪島市・坂口茂市長
「別所谷の住民にとっては重い決断だと思っている」

しかし、この中に故郷への思いを断ち切れない住民がいました。

倉山邦雄さん(当時)
「地区の皆さんが一緒になってその地区にいられれば一番ベストなんやけどね」

倉山邦雄さんが地震前まで住んでいた別所谷町。あれから2年近く経っても、倒木は折り重なり、電柱は倒れたまま。家屋もいまだに解体を終えていません。

震災前は42世帯78人が暮らしていた集落。しかし、電気や水道は未だ復旧せず、住民は誰一人、帰ってきていません。

倉山さん
「正月からあのままや。これなんか地震の後閉じまりもできんような状態やからね」

倉山さんも市内の仮設住宅に身を寄せ、時間を見つけては、別所谷に通っています。

Q. 自分の車は?
「ここの中。まだ見られんげん。復旧できるかと言ったらなかなか個人では無理だろうし、そうなれば『ここに住めん』という結果になってしまうわね」

現在、輪島市内で集団移転を検討している3つの地区のうち、別所谷町と稲舟町は、市中心部への移転を希望しています。