終戦から80年の205年に見つかった史料は戦死した恒男さんが確かに生きていた証でもありました。

(手紙の内容)
「8月14日午後7時ごろ、地下壕の入り口付近で爆発音を聞いたので、駆けつけてみると。4、5人が倒れており、~恒男君が一番手前に倒れているので、声をかけて揺り起こしてみましたが、もう虫の息であり、かすかに『班長殿、藤澤も一緒に行きます。突撃します』と叫んでおりました」

恒男さんはソ連軍の急襲を受けた翌日、80年前の8月15日に亡くなりました。