手紙には恒男さんと松井さんの2人は南満州鉄道に務める同僚で終戦間際の1945年(昭和20年)5月に共に満州国西北部の要衝・海拉爾(ハイラル)の守備隊に入隊したことが書かれていました。

さらに、8月9日のソ連軍侵攻以来飛行機や戦車を備えた相手に対して日本軍は小銃や手りゅう弾などの限られた武器しかなく、昼は地下壕にこもって夜襲を仕掛けるくらいしかできなかったことなどがこと細かく記されていました。

(手紙の内容)
「煙が出るので飯もたけず、水もないので夜池の水をくみに行ったり、地下壕の底に溜まるセメント臭い水を飲み、一日一袋の乾パンを頬張っておりました」