横井さんは「戦陣訓を本気で信じていた」

今、横井さんの気持ちを代弁する男性が広島市にいます。

大学教授の幡新大実さんは、横井さんの妻・美保子さんの甥です。

これまで横井さんの手記「明日への道」を英訳し、帰国後の様子も書き添えた本をイギリスで出版するなど、研究活動は海外でも知られています。

(横井さんの妻の甥 幡新大実さん)
「横井さんが帰国した頃の新聞記事を読んでいると、“戦陣訓”に縛られた兵隊たちの話がよく出てくる」

横井さんたち日本兵を縛りつけていたのが「戦陣訓」。軍人の綱紀粛正のために作られた訓令です。有名な一節は「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」。

「捕虜になるくらいならば、自ら命を絶て」という教えです。

(幡新さん)
「戦陣訓を破ったから、殺されることはない。軍法会議にかけられるとかそういうことはありえないと、将校はわかる。将校はすぐに判断ができるので(敵に)白旗をあげることに抵抗はない。一般兵士はわからない。(戦陣訓を)本気で信じていた」

幡新さんは、この一節の直前の言葉も重いと言います。

「常に郷党家門の面目を思ひ、いよいよ奮励してその期待に答ふべし」

これは「故郷や家族の名に恥じないよう、一生懸命努力せよ」という意味です。事実上の母子家庭で育った横井さんは、国にいる母親のことが戦地でも頭から離れるわけがないと話す幡新さん。

(幡新さん)
「自分がもしアメリカ軍に捕まれば、一族郎党・自分の家族にどういう迷惑がかかるかわからない、お母さんに迷惑がかかったら大変なことになると」

国は1944年に横井さんたちは「戦死」したとしました。