日航機墜落事故の遺族でつくる会の事務局長で、9歳の息子を亡くした女性は、40年目は特別ではないとしつつ、「遺族の高齢化」について不安を語りました。
美谷島邦子さん
「これが第1回の集会ですよね、あの年のね」
美谷島邦子さん、78歳。息子の健ちゃん(当時9)を40年前の日航機墜落事故で亡くしました。
美谷島邦子さん
「なんか健はどう見てんのかなって。きっとママは変わらないんだろうなって返事が聞こえそうです。(健から)あんまり頑張らなくてもいいよって言われそう。もう自分を労わりなさいと」
当時の記録も大切に保管しています。
美谷島邦子さん
「手書きですね。名簿も本当に手書きで、発足の時ですね」
事故から4か月後に結成されたのが、遺族でつくる「8.12連絡会」です。
美谷島邦子さん(1985年)
「この傷の深さに私自身、驚いていた」
美谷島さんは、会の事務局長として遺族同士を繋げる役割を担いながら、これまで「空の安全」を訴えてきました。
2006年には、事故機の残骸などを展示する日本航空の「安全啓発センター」が誕生。当初、残骸などは廃棄される方針でしたが、遺族らの強い思いが公開を後押ししました。
事故から40年。美谷島さんは先月、日本航空グループの職員に向けて講演し、「安全のために立ち止まれる勇気を持ってほしい」と訴えました。
美谷島邦子さん
「御巣鷹山の空から一緒に安全をつくっていきましょう」
日本航空の社員
「まだ生まれていない時に起きた事故ですが、ご遺族の方たちの思いをこれからも次に繋いでいけるように」
日本航空によると、事故当時を知る現役社員は17人とわずか0.1%。安全研修を通じて、事故の教訓を次の世代に繋げています。
40年の節目について、美谷島さんは。
美谷島邦子さん
「40年という区切りではないんですよ。私たち、1年1年区切りだから。振り返ったら40年だったということだし、8月13日は次の41年目になるという」
しかし、「遺族の高齢化」には不安もあるといいます。
美谷島邦子さん
「(40年に)特別はないんだけど、ただ、やっぱりもう登れなくなる、自分も含めて。そういうことを思うと、1年1年がもっと大きなものになっていく」
群馬県上野村。きのう、墜落現場のふもとでは、遺族らが灯籠を流し、犠牲者への祈りが捧げられました。灯篭には「空の安全」の文字も。
今年もいつも通り、息子の健ちゃんが大好きだったおもちゃを持って、御巣鷹の尾根を登りました。
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