1993年の8・6豪雨災害では、土砂災害による被害が各地で相次ぎました。「悲惨な災害を忘れないでほしい」。土石流が直撃した病院で父親を亡くした女性が語る32年前の記憶です。

(記者)「目の前に錦江湾を望むこの場所。32年前のきょう、ここ旧花倉病院一帯が土砂に巻き込まれました」
32年前の8月6日。鹿児島市吉野町の花倉地区では、裏の斜面で起きた土石流が病院や住宅を直撃。住民6人と入院患者9人が亡くなりました。
薩摩川内市で温泉旅館の女将をしている田中美代子さん(70)。当時、花倉の病院に入院していた父親・鶴田勇さんを土石流で亡くしました。

父・勇さんは畳職人で、田中さんと弟2人を男手一つで育てていました。
(田中美代子さん)「お父さんが仕事で帰ってきて焼酎を飲めば、自分も一緒に飲んで機嫌をとった。優しい、かねては何も言い切らん人で」
しかし、勇さんは42歳の時、脳梗塞で倒れ、花倉にあった病院に入院しました。半身不随で、自分で歩けないほど体が不自由だったといいます。

そして、32年前の8月6日に襲った豪雨。1階にあった勇さんの病室を土石流が襲いました。

(田中美代子さん)「顔から身体から岩に挟まれてたみたいで、救助されたときは見られる状態ではなかった」
当時、田中さんは足のけがで薩摩川内市内の病院に入院していて、すぐに駆けつけられませんでした。
(田中美代子さん)「弟から電話が来て、ダメだったから姉ちゃん(被災現場に)行くからねって」「あー亡くなってるわ、いないわーっていう、本当なら泣き出したくなるはずなのに、全然なかったですね。ただもう、頭が真っ白になるって感じ」

勇さんの命日のきょう8月6日。田中さんは当時の病棟を訪れました。
しかし、病棟は今年6月から、鹿児島北バイパスの工事に伴って解体が進んでいます。建物がなくなることで災害の記憶がさらに風化しないか、心配しています。
(田中美代子さん)「こういう悲惨なことがあったということを忘れてほしくない。もういいんじゃないかって思うこともありますけど、いやそうじゃないんだと思い返して(ほしい)」
8・6豪雨災害から32年。遺族は、記憶の風化という現実とも向き合っています。