きょう8月6日は、1993年に8・6豪雨災害が起きた日でもあります。鹿児島市を中心に土砂災害や浸水で48人が死亡し、1人が行方不明となりました。32年前のあの日、皆さんの体験を街で聞きました。
「あの感じは二度と味わいたくない。武之橋が流された時は涙が出た」

1993年8月6日。7月からの長雨に2時間で180ミリの集中豪雨が重なり、鹿児島市では中心部を流れる稲荷川、新川、甲突川が氾濫しました。街を濁流が覆い、およそ1万4000戸が被害を受けました。

がけと海に挟まれた鹿児島市の竜ケ水地区では、国道沿いのがけが崩れて3000人が孤立。花倉地区では土石流が病院や住宅を直撃し、一連の災害で48人が死亡、1人が行方不明となりました。

(高校2年生)「中学校にこれくらい水位があがったという記念碑があって、授業で習った」
(高校2年生)「おばあちゃんが洗濯機も流れていたと言っていた」
(高校2年生)「想像できない。そんなに(雨が)降っていることが。びっくりした」
(80代・鹿児島市で被災)「やっぱりすごい雨だった。きっとなにか起きるのではないかと思う雨だった。ひどかった」
(70代・鹿児島市で被災)「バスとか止まっているので、会社から緑ヶ丘の自宅まで歩いて帰った。連絡もできずに2時間以上歩いて帰った」
(70代・姶良市で被災)「二度と起こらないでほしい災害なので、自然の猛威をなめないでほしい」